『ジョン・レノンとオノ・ヨーコ』

愛と平和を謳うワーキングクラスヒーロー。史上最高の声を持つロックンローラー
明日12/08は、世界中の人々に何かしら多大な影響を与えたジョン・レノンの命日である。
そして彼の人生のパートーナーがオノ・ヨーコ。多分、アダムとイブ以上に世界中一番有名なカップルでしょう。
そんな彼らの共作に『imagine』という曲がある。ヨーコの詩集『グレープフルーツ』からインスパイアされた曲。
誰もが口ずさめる普遍のポップソングであり、誰もが胸を締め付けられるレベル・ミュージック。
そして「9.11」後の9/25にNYタイムズ紙の一面にオノ・ヨーコがこの曲の一節だけを掲載した。有名な話。
http://homepage2.nifty.com/osawa-yutaka/tero-peace.htm最初は誰が掲載したかさえ分からなかったらしい。格好いい。
その後、前期イラク戦争中、厭戦と革命の効果を嫌ってアメリカの主要ラジオ局が放送禁止にした曲でもある。憤怒。
僕はアートとは「きっかけ」を得られる最高の魔法だと思う。だが、この時代ではその「きっかけ」を奪い忘れるのが常々である。
だからこそ「9.11」から5年を経た今、アートの力を誰よりも知るヨーコはまたもやNYタイムズ紙の一面を利用する。
http://www.sanspo.com/sokuho/1127sokuho019.htmlこれをアートの敗北宣言のように受けとってしまうのは僕だけだろうか。
確かにアートは世界を変えるわけでもない。ましてや誰かを救えるわけでもない。
ただ、世界を変える「きっかけ」に、誰かを救える「きっかけ」に成り得るのだ。それは歴史が証明している。
そういう「きっかけ」が次々と奪われ忘れられた社会。とても窮屈で息苦しいものになるのでは・・・。
もう一度、『imagine』を聴く。ジョンがあんなに優しいメロディで「imagine」と歌いかけてくる。
しかし、あれは踏み絵のような「想像しろ」という強烈な命令形。 そう、「平和」を「想像しろ」というアート。
『imagine』が持つ「きっかけ」を受け止めた人々は擦り切れて使い古びた「平和」を願うはずがない。
なのに擦り切れて使い古びた「平和」を叫ぶ阿呆がたくさんいる。これほど力強い言葉を持ったアートでさえ、もはや人々には届かないのだ。
 そんな悲しみをヨーコは今、抱いているのかもしれない。ジョン・レノンと共に。