『ミリオンダラー・ベイビー』

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当時、映画館でバイトをしていたのでよく分かる。『ミリオンダラー・ベイビー』の深さを。上映終了後の観客の大勢は、何とも言い難い表情をしていた。強烈な映画体験をしてしまい、混乱していたんだろう。
「サクセスストーリー」や「自己実現」や「父性の復権」や、「アメリカ」や「リベラリズム」や「ネオコン」や、「尊厳死」や「家族の崩壊」や「故郷の喪失」や、「フェミニズム」や「宗教」や「暴力」や、「世界の不条理」や「希望」や「絶望」や、「人の不条理」や「無償の愛」や「偽善の愛」や。そんなありとあらゆる引き出しが開けられる。おふざけ映画の陳腐で安直なカタルシスなど微塵も無い。あるのは「試行錯誤の答え探し」。だから上映終了後、混乱。答えが無いから、感想を表現する言葉が無いのだ。
そして僕らは自問自答しながら言葉を探す。ことほどさように、しっかりと日常と地続きになっている。クリント・イーストウッドの他の作品も、さようである。深さを持った映画を創る素晴らしいクリエイターである。「よかった〜!」だけで終わる映画なんぞ、目糞である。「よかった」先を考えない人なんぞ、鼻糞である。目糞、鼻糞を笑っている俺が耳糞にならないよう、イーストウッドのように深みを持った男になろう。