『ラストデイズ/ガス・ヴァン・サント(2004)』

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カート・コバーンもそうであったように優れたミュージシャンは「時代」を象徴する言葉を発した。
1960年代にはThe Whoが「We Have A Remedy」と発した。「俺たちは救済策を持っている」と。 
1970年代にはJohn Lennonが「Power To The People」と発した。「人々に力を」と。
1980年代にはPatti Smithが「People Have The Power」と発した。「私達には力がある」と。
そして1990年代にはNirvanaが「Hello, How Low?」と発した。「やあ、どれくらいひどい?」と。
これらの言葉の裏側の社会的背景を追ってみてもわかるように、90年代以前と以降ではゴロリと人々の意識が変わる(日本はほぼ5年遅れで)。学問的には「ポストモダン」がどうのこうのと言うところだが、簡単に言えば、やっぱり「底は抜けた」のだ。その現状認識を圧倒的な感性で切り取ったのがカート・コバーンではないか。「Hello」を「How Low?」と茶化さずにはいられない時代を歌う詩人。
彼が日記に「反大食主義、反物質主義、反消費主義のイメージを取り込む」と書きながら、Nirvanaがミイラ取りがミイラになっていく状況を思うと、圧倒的な感性がもたらすジレンマに耐えきれず、彼は自殺を選んでしまった、というのは余りに偏った見解だろうか。
いやむしろ、今だにカートの「グランジ」な雰囲気だけを消費して、カートの視線の先を見ない我々に彼について語る言葉はないのかもしれない。
ガス・ヴァン・サントが描いた「カート・コバーン最期の数日」に着想を得た「ラストデイズ」は、カートの視線の先を否が応でも想像せずにはいられない。「ファッション」や「パーソナリティ」や「ナラティブ’(物語)」があればアーティストとして成り立つ時代が、カートの自殺以降より強固になって、そして電通的な欲望のネットワーク化によって生まれた均質化された人々がそんな時代を支えていくマッチポンプ状態は、まさに消費「文化」。
多分、カートの視線の先は、その構造のど真ん中で誰よりも苦しんでいく自分の姿だったのではないだろうか。まさに「レイプ・ミー」という言葉が。「かっこいい」や「かわいい」だけを売る自称アーティストやそれだけでしかアートを評価できない消費者には「教訓」という言葉を。
そう言えば、カートがNirvanaを解散して盟友R.E.M.マイケル・スタイプとアコースティック・バンドを結成しようとしていたらしい。
「9.11」が起きた2001年にR.E.M.は「I'll Take The Rain」と発した。「僕は悲しみを受け入れよう」と。これはマイケルからカートへの10年越しの返答でもあるし、またこの時代を活きていく人間の為に向けた勇気の宣言だと思う。泣く。