『東京から考える』 

http://spn06023.co.hontsuna.com/article/1826460.html
ようやく読了。半ばから面白くなり過ぎて寝る間もないのに寝る間を削り読み耽ってしまった。
グローバリズムの浸透により、世界のアメリカ化、日本の東京化と言われ続けている昨今、その裏側で「格差」や「個性」や「ニート」や「ネイション」の問題は見過ごす事の出来ない病として蔓延っているので、ローカリズムやパトリやリベラリズムを見直すべきじゃねーの、と安直なオチを付けるのは非常に危険信号。
というのは、グローバリズムが「利便性」の名の下に進行して、なおかつ「人間工学的に正しい」強固な論理を持っていてからこそ、何M先には規則的に存在するコンビニやファーストフードや、どこでも同じのテーマパーク的なショッピングモールや安全と安心を与えるための監視カメラや移動や買い物の快適さが大幅にアップするICチップに、あなたたち、抗うことは出来ますか???
と問われたら、そんな生活を享受している僕らは既に背負ってしまっているダブルスタンダードゆえに論破することは不可能・・・。というのが実質だが、ここで止まるのも危険信号が。
要は「人間工学的に正しい」ことで「均一化」、「記号化」されていく社会で我々もそうなっていくことを「動物的」に享受するか、「人間的」に対抗するかという二項対立ではなく、フレキシブルな対応を考えること。
これが肝。で、「東京から考える」ことの主題かなと、多分。でも本書の東も北田もそこはまだ答え探しという状況。
実はこの主題は松本大洋の「鉄コン筋クリート」にも重なる。宝町を守るために一体シロとクロは何をしたのか??
僕だとやはり「大阪で考える」という身体性を確保することから始めていくべきことなのでしょう、ぼんやりとですが。