『ホーリーランド/森恒二(2000~)』

http://www.younganimal.com/holyland/
碇シンジ」から「夜神月」へ。もしかしたら90年代後半から00年代の若者思想の流れは、そう言えるかもしれない。なぜなら「碇シンジ=世界に閉じこもる」から「夜神月=世界を造り変える」という若者のアティチュードの変化が見て取れるからだ。
碇シンジが閉じこもる世界とは、まさに「セカイ系」の世界であり、そこでは「実存」の傷の舐め合いが出来れば戯れるだけでOKという思想がある。気持ちよければ何もしない「動物化」という現象で語ることも出来る。
逆に夜神月が造り変える世界とは、世界の不条理(悪意・犯罪)が滅びた世界であり、そこでは「正義」の名の下にヘタレを切り捨ててもOKという思想がある。既存の概念を壊すという意味では「ホリエモン的」と語ることも出来る。
この変化を安直に「格差社会」の原因に置き換えることは出来ないが、それでもこのバトルロワイヤルのような社会を生き残るためには、「碇シンジ」より「夜神月」のほうが有効的なのだろう。
ホーリーランドの主人公(中学生)が『「碇シンジ」から「夜神月」へ』があからさまに変化していく様相は、若者が「あえて何もしない」より「何かをする」ことでしか生き残る手段が獲得出来ない不自由な自由の社会の登場を如実に表現している。