『ソラニン』

http://www.youngsunday.com/rensai/comics/soranin.html
少し感傷的に。なんやかんやで皆に勧める漫画。著者の浅野は、1980年生まれ。世代的には僕と一緒。
彼の特筆すべき良さは、敏感で率直な心象場面でのセリフ。少しばかり引用してみると、
『あたしが思うに、大人は「まあいいや」のカタマリだ。』『・・・でももう、「次」は無いぞ、俺。』
『あたしが仕事を辞めたのは、仕事に不満というよりは、疲弊してくたびれてゆく自分が嫌だったから。』
『今、この瞬間はいろんな現実から目を背けた上になりたってること。』『俺は、幸せだ。本当さ。ホントに?』
『たくさんの「もしも」が、あたしを襲ってくる。』エトセトラ。
ことほどさように、全てが、若者が想うようなネガティブな諦念の”よくある”セリフ。
つまり若者の自我を鋭い「痛み」で刺激してくれる一方で、若者の日常の「絶望」を教えてくれるセリフなのだ。
社会学に敏感なら、今の(特に敏感な)若者は、明確な「目標」、純粋な「やりがい」、そして偽りの無い「幸せ」。
実はそれら全てが曖昧で不透明で欺瞞である事に気付きながらも、単調で気だるい「終わりなき日常」を生きている世代。
というリアリティ溢れる定義が悲しくも出来てしまう。そして、そんな日常の忘却手段として「お祭り」や「脱自分」が流行る。
しかし「お祭り」さえテンプレート化する昨今、まるで”救い”がない。さらに「脱自分」さえ脱構築化にならない昨今、まるで”周り”がない。
"周り"を見ないのに"救い"を求める状況を生半可に肯定してしまうサブカル風情が多勢な中、『ソラニン』はあくまで絶望「だけ」を描く。
そして、さらにすごいのは絶望「から」を匂わせていること。テンプレを壊し、脱構築していくオルタナティブな感性を持つこと。
骨抜きな「希望」に安心を得るのが説得的か?それとも「絶望」から始めるのが説得的か?
涙そうそう』で涙そうそうするリアルと『ソラニン』で涙そうそうするリアル。どちらにリアリティがあるか?
ちなみに「ソラニン」とはジャガイモの芽などに含まれる毒素の事。何も知らないと中毒にかかりまっせ〜。
それからヤングサンデー浅野いにおの新連載が開始。必読。さらに「ソラニン」の映画化が決定。必観。