「おたく」の精神史~1980年代論~/大塚英志(2004)

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僕の80年代はそこら中を走り回っていた記憶しかないが、やはり高度経済成長期を経て、「集団としての価値(皆で日本を大きくするぞ)」より「個人としての価値(「私」を充実させるぞ)」に価値観の重きが移行した時代が80年代だなというのは改めて納得した。
この本は「おたく」という言葉が83年に生まれて由来がどうのこうのではなく、80年代が「私」にスポットが当たった初めての時代であり、「人が何故それを求めているのか分からない=動機の不透明」が時代に突入したことを十二分に知る事が出来る。
ビックリマン岡崎京子ボードリヤールロリコンガンダムフェミニズム宮崎勤、ディズニーランドなどといった「80年代」に盛り上がった背景を大塚が「ぼく」視点から解きほぐしていくのも面白い。ここが一番の勉強になる点。
「おたく文化」(サブカルチャー)は密接に社会とリンクしている。ただ僕はここまではまだカウンターカルチャーとしての機能は少なからずあったと思う。そして大塚は89年に「少なくとも一つの時代が終わった」と記している。
それを受けて「動機の不透明」を「不透明」のまま動いていった90年代は、「不透明な「私」を認知して欲しい」という反動が始まり、社会はとうとう底が抜ける。神戸連続児童殺傷事件、地下鉄サリン事件エヴァンゲリオン現象・・・。
そして00年代はどうか。「底が抜けた社会なら私たちは箱庭で戯れましょう」という振る舞いが増加。つまり東浩紀が言う表層の記号があれば「欠乏ー満足」の回路に閉じこもる「動物化」。綾波レイのフィギュア、ネコ耳、メガネ、USJRADWIMPS・・・。
要は深層(大きな物語)まで視座を持つ事が出来なくなってしまったのだ。だから現在の「おたく」はずっと「お宅=箱庭」から出られずに、そこで一生を終える。それでもいいと思うけど、それだといけない気もするので、僕はとりあえず学ぶのである。